優しかった季節はもうないよ

 
優しかった季節はもうないよ
起きて見る夢もあるってハナシ
最近寝つきが悪いの
そのくせ起きるのはつらいんだ

スズランの毒で死ぬんだ
花瓶の水を飲んで

お前は死んだ方がいい
それは悪い夢 ユメ ゆめ
まるでwonderland
狂った方がずっとマシさ
まだ夢の中だから


素敵なあの子はもういない
永遠の愛はないってウワサ
安定剤をもらいに行けよ
二度と目を醒ましたくないなら

入浴剤の泡で死ぬんだ
炭酸ガスに包まれて

お前は死んだ方がいい
それはただの夢 ユメ ゆめ
まるでlooking-glass
壊れた方がまだマシさ
ずっと夢の中だから


愛していると言ったって
きっと明日にはおざなりだろう
大切に抱えたソレを今すぐ
放り出して捨てちまえよ


お前は死んだ方がいい
それは悪い夢 ユメ ゆめ
まるでwonderland
狂った方がずっとマシさ
まだ夢の中だから

お前は死んだ方がいい
それはただの夢 ユメ ゆめ
まるでlooking-glass
壊れた方がまだマシさ
ずっと夢の中だから

 

腐海奮闘記。

物を腐らせるのが得意だ。

いや、それは決して私が瘴気を放っているという訳ではなく、食べ物を放置し過ぎて気付いたら腐っているというだけの話である。腐るまで放置してしまうそもそもの土壌はどうして形成されたかというと、以前交際していた元恋人の話にさかのぼる。

 

今も一人暮らしのままだが、その人と付き合っていた期間の内に私は一人暮らしを始めた。元恋人もまた、私より遅れる形で一人暮らしを始めた。話が逸れるので詳しくは書かないが、元恋人は依存気質なところがあり、私の事を度々部屋に呼んだ。その頻度は日を追うごとに多くなり、私は片道千円近い道のりを足しげく通った。一方で元恋人もまた、時々は私の部屋にきた。その時は食材を買って家に帰り、よく料理をしてくれたものだった。


だがしかし。この食材や料理が問題であった。食べきれないにも関わらず、元恋人は大量に買い込むのだ(買い込むと言っても全額私持ちだったが)。当然、余る。翌日食べればいいと思われる読者諸兄もおられる事だろうと思う。私もそのつもりであった。しかし、現実はそう甘くはない。当時仕事が終わって家に着くのは八時過ぎから九時ごろのことである。早くても七時過ぎだ。今日は会う予定もないからとその残り物を食べようとすると、呼び出しがかかる。家から駅までは徒歩15分ほど。一瞬の迷いもなく、私は荷物をまとめて家を出る。
今考えれば阿呆ではなかろうかという気しかしないが、また夢中になるような相手に巡り合ってしまったら同じ行動をとるんだろうなぁ……。まあそれはよしとして。一度向こうの家に行ったらしばらく帰らないこともあるし(そこから会社へ行きかえりする)、家に帰ってもまたすぐ出てしまう事もしばしばであった。よしんばそれらがなくとも、当時の私は料理と言えばうどんを茹でるくらいしか芸のない人間であったから、食材ばかりはどうにもならない。
一度、ホワイトシチューを作ってくれた時などは最悪であった。シチュー自体はすこぶる美味でよかったのだけれど、その翌日から二週間ほど家を空けることになった。たしか、暖かい時節のことだったろうと思う。家に着く直前になって、私は思い出した。そのホワイトシチューの存在を。玄関のドアを開けてすぐに感じた饐えた匂い。表面が硬化してやや白カビの浮いた汚泥のようなものがガス台の上の鍋に鎮座していた。蓋を開けた瞬間、私はすさまじい臭気に思わず戻しそうになった。なんとかそれをこらえ、可能な限りトイレに流し、しばらく洗剤を溶いた水に浸してから全力で洗った。

さて。こうして私の物を腐らせるということに対する無頓着さは培われていった訳であったが、先日炊いた米を少しだけ食べて一週間近く放置してしまうという事態に陥った。恋人はもういないので理由は単純に私がくるくると出回っている内にうっかりしてしまっただけである。時々気にはしていたものの、どうせもう食べられないからと片づけを先延ばし先延ばしにしてしまっていた。さらに一週間くらい経った日の事、私はついにそのかびたお米を処理しようと決意する。意を決して炊飯器の蓋を開けた私は大いに驚いた。
炊飯器の中に、まるで箱庭のような美しい世界が形成されているではないか。米はいくらか食べたので段になり、左側の窯が露出している部分を平地とすると右側は丘のような形になっていた。その丘だが、丘の左半分の一番端は黄色く、真ん中辺りにいくとピンク色に突然変わり、残りは白いままの米だ。まるで花畑のような可愛らしい色をしている。また右半分は白いふわふわとしたものに覆われ、丘全体に点々と濃い緑色の小さい斑点があった。炊飯器の蓋には水滴がついており、それがなんとなしに曇天を想起させた。私はこの光景にちょっと涙ぐんだ。こんな狭い窯の中にも生命が芽生えている!それもこんなに美しい、愛おしささえも感じさせるような色をして!私はしばしその光景に見入った。もっとよく見ようと顔を近づけた!

瞬間、饐えた匂いが私の嗅覚を刺した。我に返った私は何のためらいもなくすべてトイレに流して洗剤を溶かした水につけた窯を綺麗に洗った。本当に何してたんだろ、私。
皆さんも食材の購入と使用は計画的にしましょうね。

 

嘆いてばかりで楽しいかい

私の人生に価値があるなんてどうしたって思えなくて
「ああ、なんだかなぁ」って思う毎日です
好いてくれる人がいたってそれは屹度
どうしたって一時的なものだろうし
誰かに嫌われたり避けられたりしても
大して頓着しなかったりして
そのうち愛想尽かされてお愛想を言われるんだ

生きていていいと思える理由なんてなくて
やらなきゃいけないことはみんなおざなり
優しくしてくれる人もいるけれど
この人はどうして優しくしてくれるのだろう
そんなことばっかり考えてしまう
誰でもいいつもりなんてないのに
隣にいる人に都合よく甘えられるのは屹度
やっぱり誰だって構わないからなのかな

お酒が飲みたいけれどお金もないし
お家で一人でゆっくり飲もう
全部何もかも忘れてしまいたいんだ
カビの生えたお米も捨てなくちゃいけないし
洗濯機も回さなくちゃならないし
ご飯はどうしようかなテキトーに済ませようか
誰かと食べる時は嬉々として作る癖に
自分だけのためとなると途端にやる気なくすんだ

いち、にの、惨死

ライヴに行ったよ。とても楽しかったけれど、とても楽しかったこと以外はなんとなく記憶になかったりもして。ただ、日本語の歌詞で歌う人たちはなんだか情景が目に浮かんで、私はゆらゆらと体を揺らしていたし、英語の歌詞で歌う人たちは音も言葉もお洒落でかっこよくて、私は縦に横にと踊り狂ってた。ライヴハウスなんてお洒落な空間なのだけれど、窓から見えるのはどれもラブホテルばっかりで、それがなんだか妙に印象に残っている。
一番好きだったバンドは『YOUR ROMANCE』というバンドで、これはもう本当にサイコーでもうサイコーとかヤバいみたいな語彙力不足な感想しか言えなくなってしまうくらい素晴らしかった。最後にそのバンドのメンバーとちょっと話せたのだけれど、踊ってるの見られてたみたいで恥ずかしかった。反面、見てもらえたのは嬉しかったけれど。
最後に遊びに来ていた人と連れて行ってくれた会社の同期と三人でお酒を頂く約束をして終電で帰った。気づいたら終電の10分前で夜の道玄坂を猛ダッシュで駅まで向かった。私が必死で走ってるのにカップルと飲んだくれのオンパレードだったの、ちょっと納得いかない。
なんだ、意外といろいろ覚えているんじゃない。
ふと気が付くとその飲み会は火曜日に迫っているし、そもそもライヴ自体一週間前だしでああなんて時が経つのは早いのだろう。このまま私は老いさらばえて、身寄りのないままひっそりと孤独死する気がする。あなおそろしや。

音楽と言えば、最近またボカロにハマってる。特に梨本うい氏と彼が率いるバンド、あらいやかしこ(これはボカロではない)がアツい。かっこいいんだよ。聞こうよ。あなたも一緒に過呼吸ダンス。


全然関係ない話。
体調がだいぶ戻ってきた。相変わらず左足は痛むけれど、風邪はもうほとんどいいし、ものもらいもすっかりよくなった。反対に内臓がやられているけれど、よく考えたらこっちは万年こんな感じかも知れない。読んでくださっている方もどうか、気を付けて。
悲しいことも多いし、辛いことも多いけれど、死にたい気持ちばっかりだけれど、なんとか生きているみたい。それがいいことなのかわるいことなのかは、ちょっとよくわからない。
シャンプーもコンディショナーも洗顔までもだんだん量を減らして行って、大丈夫かな、このままなくなったら悲しいなって思うの。使えば使うだけなくなっていくのは、仕様のないことなのだけれど、一事が万事ずっとこんな感じ。大丈夫、笑えるさ。変幻自在のドーリス、前向思考のイミテーション、自他陶酔のファナティック。みんな素敵な人たちなのに、どうして私に優しくしてくれるのかな。拘泥わっているのかな。きっともっとずっといい人、いるはずなのにな。
何はともあれ、日曜日は映画を見に行く。大好きな漫画家さんの漫画が原作だから、公開前からずっと見たかったんだ。

駅からはタクシーで。

はじめてから一ヶ月ほどで早速更新が停滞している情緒の情緒。
日々お酒を喰らい、書いている原稿は進まず、しかし着々と月日は過ぎていく……どうなる、情緒!
次回、「情緒の情緒、崩壊。」お楽しみに!

 

崩壊しません。
こんばんは、情緒です。近頃めっきり筆を執らず、ご無沙汰をしておりました。と言っても意外と二週間くらいしか経っていないのね。びっくり。この二週間、私は相変わらずの日々です。変わったことと言えば、昔の恋人に「殺してあげる」と言われたことかしらん。いや十分なにかあるじゃねぇかどういうことだ。そんな奇特な状況あんまりないわ。

勢いで相変わらずなんて書いたけれど、よく考えたらこの二週間変わったこといっぱいあったわ。まず、風邪になりました。これが結構ひどくて一時期声が全然でないし体調キツいしで午後半休を取った日もあったくらい。いけませんね、弱くて。その上右目にモノモライができ、さらには(これはここ一ヶ月くらい慢性的なものですが)左足の平が痛みます。満身創痍です。私を憐れんだ先輩から"うにあられ"をもらったのが唯一の救いです。

そうそう、変わったことと言えば珍しく逆ナンなんてものに遭遇しました。
友人二人と私の三人でお酒を頂いていたのですが、友人たちがそれぞれ別のところで飲み始めてしまったので、私は一人端っこで飲んでいた訳です。すると向こうの方でナンパにあっていた女の子が近づいてきて、声をかけてくれました。後で聞いてみると、まじ彼女らをナンパした男の子たちがあまりにつまらない人たちで(遠目で見ていてもそんな感じだった)私は私で性とか超越してそうな雰囲気がしたので声をかけたとのこと。
結局その人は一度出て行ったものの戻ってきて二人で朝の五時までお酒を頂いておりました。かと言って浮いた話かと言えばまったくそんなことはなく、最終的にゲイバーの人生相談の様相を呈し、始発でそれぞれお家に帰るという。
いい飲み友達が出来ました。

なんでもないような毎日を送っているつもりでも、思い返してみるといろいろあって、面白いものだなぁ。眼帯はつけていてちょっと楽しかった。気が狂いそうな想いに取りつかれる日もあったけれど、なんとか生きていけるものです。まだ大丈夫かしらん。
ブログは止まりがちになりそうだけれど、ちょこちょこ書き続けていこう。しばらくはお酒はほどほどに。お料理もちゃんとしようね。

 

-次回予告-
再びブログを書き始めた情緒。そして語られる過去。
だが、心の奥底より飛来するやる気のなさは、人々に希望を捨てさせた。
次回「情緒の価値は」みーんなで見てね。
※番組の内容は予告なく変更される場合があり、
 またこの番組は放送時間の変更がされる場合があります。

まだ、夢を見ている。

いつも部屋に花を飾っていた。薔薇。百合。アルストロメリア。かすみ草にトルコ桔梗、ガーベラやりんどうやグロリオーサなんかもあったな。取り分けあの人は薔薇を好んで、色とりどりの薔薇を私によくねだった。何本かある時は100均で買ってきた綺麗なグラスに生けて、シンデレラのガラスの靴の隣に飾って、新しく花を買ってきた日はグラスに油性ペンで日付を書いた。一輪挿しにする時はシェリー酒やワインの空き瓶に生けた。お花屋さんのおじいさんがいい人で、私たちを気に入ってくれて、お店のお古のハサミをくれたり、お店に出せなくなった花なんかをおまけしてくれた。今残ったのは、花を生ける習慣だけ。机の端っこでお気に入りのボトルに生けた薔薇が腐りかけている。

寝る前には、毎晩絵本を読んだ。ベッドに入る前に「今日はこれがいい」と言って絵本を選ぶ姿が、とても愛おしかった。酒井駒子さんの絵本が好きで、中でも『ビロードのうさぎ』と『よるくま』は大のお気に入りだった。
「ねぇママ、夜になると かわいいともだちがやってくるんだ。 夜みたいにくろい、くまの子。」
そういえば、ビロード製のうさぎの人形をプレゼントしたくて、こっそりいろいろ探し回ったっけ。結局見つけられなかったけれど。私が読んでいる途中であの人はいつの間にか寝息を立て始めて、私はそれに気付くとそっと髪を撫でて、それから起こさないように絵本をそっと床に置いて、隣に潜り込んであの人を抱いて眠った。私の方がずっと早くに出るから、静かに準備をして寝ているあの人の唇にそっとキスを落として仕事に行く。玄関先にはその日出す分のゴミが置いてあって、それを捨ててから早朝の商店街を駅に向かって歩いた。今残ったのは、独りで眠る寂しさだけ。本棚の隅でもう開かれることのない絵本が、ひっそりと佇んでいる。

そんな絵に描いたような幸せが、物語の中にしかないような日々が、全て嘘に変わってしまって、あの時こうしていればとか、あの時にこの能力があったらだとか、そんなこと考えたってもうどうしようもないのに、もう遅いのに、今更どうしようもないことなんてわかっているのに、考えてしまうんだよ。もう愛していないつもりでいるけれど、楔はどこかにあって、そいつがどうしたって抜けないんだ。夢みたいな日々だったから、夢みたいに終わっちゃったのかな。お酒を教えたのも煙草を教えたのもあの人だったのに、残ったのが体を壊すものばっかりというのは、どうにも皮肉が過ぎるよなぁ。

いっそ全部忘れちゃってさ。何もかも見失ってさ。新しい世界だけを純粋に愛せたらいいのになぁ。幸福だった日々が寂しい記憶に変わってしまうのは、綺麗な花がだんだん腐って枯れていくのに似ているな。新しい花を生けることも出来なくて、だから別の誰かと絵本を開くことも、もうないのだろうな。

ああ、明日は花を買いに行こう。腐りかけの薔薇を捨てて、トルコ桔梗を買おう。見つからなかったら、アルストロメリアでもいいな。新しい水に入れ替えてさ。それから、本屋さんに行って『ビロードのうさぎ』も買おう。『よるくま』もあるか見てみよう。それで家に帰って、明日は一日寝ていよう。こんな風にして幸せだった日々の記憶を反芻して生きるのは、どうにも惨めだ。でも、だからって愛おしかった日々を憎むようになるのは、なんか違うと思うんだ。惨めでも滑稽でも、自分に嘘をついてしまうのは、それはそれでどうしようもなく悲しくて、胸が詰まるから。

それ以上でも以下でもない。

「一番じゃなくてもいいから傍にいさせて」って言ったのは嘘だったし「嘘でもいいから今だけ愛して」って言ったのも嘘だった。私は自分でそれに気付いていたくせに、気付かないふりをしていただけだった。たとえ相手が本心で言っていたとしても、嘘ってことにして自分を守っていたんだ。

愛されるのが怖い。いつか嘘に変わってしまうことが怖い。愛しているだとか、ずっと一緒にいようだとか、そんな風に言ってくれた記憶が今も私を苦しめる。傷つくのが厭で暗がりに逃げ込んだのに、ずっと追いかけてくるのだ。いつしか私は、そんな優しい言葉たちを信じることが出来なくなっていった。誰かの二番目になることも増えていって、テキトウな誘いに流されることも多くなって、でも何をされても嫌いになったり離れたりなんて出来ないから、反対に大切にされてると感じることは減っていって。本当に慈しみをもって接してくれた人の言葉まで信じられなくなって、自分で自分を守るように、割り切ったような言葉を口にするようになった。本心では私だけを見て欲しい、何度も繰り返し愛していると言って欲しいと思っていたのに、私はそれに蓋をしてしまったんだ。それらは自分を傷つける、ある種の精神的な自傷行為でしかなかったけれど、腕を切っていた頃と同じようにそれが必要なことだって言い聞かせながらなんとか私は私を守っていたのだ。

嘘でもいい、二番目でもいい、そんな盾を構えて聞く優しい言葉たちはみんなぞんざいな嘘っぱちに聞こえてしまって、(ああ、ひどいことしてるな)っていつも感じていた。仮に本当に愛されたとしたって自分が同じように相手を愛せる訳でもないのに、手を伸ばされたらにこにこ笑って「ありがとう」「私もだよ」ってその手を取る。そのたびに、心が濁っていく気がした。限界だって言って飛び降りられたら楽なのにな。誰と居たって何をしていたってどこか醒めていて、(ああ、クソみたいだな)ってお酒を飲むたびに思うんだ。結局そうやって言ってくれる人、手を伸ばす人は私を大切にしてくれるわけでもなくて、私は私で一人で大概のことが出来てしまうし、それを二人分やることも苦ではないし、なんでもやってあげてしまうからだんだんそれが当たり前になって、私も耐え切れなくなって、全部ダメになってしまう。「あなた以上の人はいない」なんて言われることも少なくないけど、じゃあなんでもう少し私を理解してくれないのって、傲慢な感情が噴き出して、それをまた抑え込む。

そうやって心が少しずつ爛れて、もう何が本当で何が嘘かもよくわかんなくなってんだよな。全部なにもかも信じてみたい時が本当に時々あって、本当はいつも望んでいて、なんかそういう夜があって順番を間違えちゃって下手に進めなくなってるのが今の現状で、もうわかんねぇよ。私はあなたが怖いよ。何考えてるのかわからないもの。別にいいんだ、それは。なんだっていいしどうでもいいし。幸せになりたかったな。もう無理だろうな。私の人生なんだったんだ。高校生の頃の夢は幸せな家庭だった。好きな人と一緒になって、子供を作って家族で幸せに暮らそうって、バカみたいに本気で望んでいた。本当にバカだ。大バカ野郎だ。願ったって望んだって手に入らないようなものものばっかり欲しがるんだ。手に入らないから欲しがるのかな。厭だな。最低だ。

一瞬の幸福のために誰かを利用するようなマネするのも厭だし、かといって誰かに利用されてるってわかっていても拒んだりしない。本気になって傷つくのも厭だし、本気になられて傷つけるのも怖い。なんか欠落してないかな。どこで落としたのかな。探してみたって見つけられるのは傷だらけな上に汚れきった自分の体を映している鏡だけ。もう直視するのも憚られるような、血みどろの体しか見えなくて、実際直視なんてできなくて、目を背け続けているんだよ。どクズが。ああ、寒いなぁ。

愛するのが怖いって話もしようと思ったけれど、長くなったし悲しくなったからもういいや。今度にしようね。

だから今夜はいい子でおやすみ。夢の中でくらい、幸せでいたいなって、今は思う。