私と音源(Disk3)

どうした情緒。自分の音楽遍歴を語る為に三記事も使ってるぞ。タイトルの元ネタである林檎女史の『私と放電』だってDisk2までしかないんだからな。大概にせえよ。
などとつらつら自分を叱責しても仕方がない。また無為に字数を増やすだけになってしまうのでそろそろ始めよう。今回で終わりにしたい。

・社会人なり立てから今
高校を卒業し、就職するまでの間のわずかな期間で、私は激しめの曲にハマった。おりしもヴィジュアル系全盛期で、TSUTAYAでは連日特集コーナーが組まれ、テレビでも露出が増え、ライヴでは蜜や咲きといった文化に陽が当たり、ネットでは醜い争いが昼となく夜となく繰り広げられるという良くも悪くも黄金時代であった。アンティック-喫茶店-、ギルガメッシュ、Asid Brack Cherryなど一般受けするVバンドも多く発生していた時期であり、V系の中でもラウド系、キラキラ系、地下室系、白塗り系、オサレ系、昭和歌謡系、耽美系などなど様々に枝分かれしていった時期でもある。
私は詳細なジャンルにはあまり詳しくないが、高校の頃怖がっていたDir en grayにダダはまりしたが、そもそもはこの前にMarilyn Mansonにめちゃくちゃハマっていたのがきっかけではあった。
しばらくDirとマンソンに心酔、延々とヘビロテしていたが、入社してしばらく経った頃、同期から凛として時雨を勧められた。この辺りからポスロとかエモとかオルタナとかプログレといった新進気鋭のバンドミュージックを聞き始める。音楽の聴き方も、一つのアーティストをずっと延々と聞くより、今はコレ、今日はこっち、という聞き方が多くなってきた。
また、ライヴハウスに出入りするようになったのもこの頃だ。『奇奏ト狂唱ノ宴』というイベントに、たまたま誘われて行った時のことだ。この時は確かストロベリーソングオーケストラやゾンビロリータとかが出演していた回だった。懐かしいな、アナーキー包丁。この時(たしか)VJとして来ていた優雅灯というバンドのボーカルさんと知り合ったのがきっかけでいくつかのライヴへと足を運び、生音の楽しさを知ったのだった。立川バベル辺りでカラビンカやかたすかしといったバンドが活躍しており、中でもみみうなぎというバンドに深く惹かれていた。足が遠のいている内に解散してしまったようだが。アングラなライヴばかり行っていたせいか、アングラな曲を多く好んでいた時期でもあった。
同時期、私はゲームセンターでの音ゲーにハマっていた。ゲームそのものというよりもゲーム中の音楽が好きで、よく会社帰りに通った。一向に上達せず、中くらいのレベルの曲をひたすら叩いていた。
当時の意欲や好奇心というものは目を見張るものがあり、非常に幅広いジャンルの音楽を聴いていたように思う。以下にズラっと列挙するが、卒業後の三年で聞いてきた音楽はアーティスト名だけでもかなりのものであり、音楽と共に生きてきたと言ってもいい。働き出してからは自分のお金も多少出来たので、CDもたくさん買った。中学生まででは考えられないことである。ざっくりと分けて紹介する(多いので面倒だったら読み飛ばしてください)。またジャンルは適当だしかぶっている部分も多分にある点について、先にお断りしておく。

ヴィジュアル系:Dir en gray、グルグル映畫館、SEX-ANDROIDドレミ團Plastic tree陰陽座
ダウナー系:筋肉少女帯(大槻ケンヂ含み)、夢中夢、COCK-ROACH、倉橋ヨエコアーバンギャルド
バンド系:syrup16g、サカナモン、amazarashi、モーモールルギャバンGO!GO!7188
ポスロ系:凛として時雨ハイスイノナサ、anticlockwise、caroline rocks、夢中夢踊ってばかりの国、鴉、0.8秒と衝撃。クリープハイプ、daoko

もっとあったと思うが、これ以上は家のCD庫をひっくり返す他わからない。
ともあれ、なんとなく私の好みの方向性を感じてもらえるだろうか。
最近は新たにひいきにしているバンドも増えたので、また少しずつライヴハウスへ足を運ぼうと思う。長い話に付き合ってくれてどうもありがとう。
では、また。

私と音源 (Disk2)

近頃めっきりライヴに行かなくなってしまった。積極的に情報を集めなくなったのと、ここ数か月の行動範囲が家と会社の往復に尽きていること、慢性的な資金難といった辺りがその原因であろうと思われる。行き帰りのターミナル駅というと横浜や川崎となるのだが、その近辺には私が好むようなちょうどいいハコがない。ジャズバーがあるのは知っているが、そちらにまで食指を伸ばしてしまうと収集がつかなくなりそうで恐ろしい。絶対ハマっちゃう。
とは言え、一番大きな問題は何かと言えば、やはり金銭的な部分だろう。お金がないばかりに趣味に時間を割けないとは、世知辛い話である。

前口上はこれくらいにして、前回の続きと行こう。
バンドミュージックや音楽アーティストとはほとんど無縁の生活を送った中学時代までであったが、その後どのように変化していくのか。


・高校生時代
高校一年の半ばまで矢張り音楽をほとんど聞かずに学校生活を送るが、中学の頃と比べて友人は増えていた。次男や友人たちからおすすめされるものを言われるがままに聞いている内、私の中に音楽への関心が萌芽し始めた。
ちなみにこの頃の次男は中学の頃のものとはまた別ベクトルで、HYやケツメイシDREAMS COME TRUE湘南乃風といったイカニモな感じの曲もよく聞いていたようである。貸してもらったもののケツメイシ以外は耳に合わなかったので、おとなしくBUMP OF CHICKENポルノグラフィティを聞いていた(湘南乃風に至ってはこっそり「パスタwwww」と思っていた)。この頃になると、カラオケに行く機会もちらほらと出てくる。BUMPとポルノとケツメの他には影山ヒロノブのButter-flyしか武器のなかった私なりによく奮戦していたと思う。一方で友人たちはDir en grayやL'ark~en~cielやJanne Da Arkといった古き良きヴィジュアル系にハマっていた。完全に一歩先である。これらの曲に対して当時の私は「なんか怖いしPV気持ち悪い」という感想しか持ち得ず、後に自分がV系にドハマりすることになるなどとは考えもしなかった。
さて、友人連中以外の部分で当時何が流行っていたかというと、大別してmihimaru-GTやnobodyknows+ORANGE RANGEといったアッパーチューン系統、いきものがかりポルノグラフィティケツメイシといったメジャーアーティスト系統、BUMP OF CHICKENASIAN KUNG-FU GENERATIONRADWIMPS、ELLE GURDENといったロキノンバンド系統などであった。
そんな中で基本的にはロキノンバンド系統やメジャーアーティスト系統をよく聞いていた私であったが、高校一年十月、爆発的大ヒットを記録したORANGE RANGE"花"を流行に乗ってうっかり買ってしまうこととなった。買ってしまうと言っても当時バイトをしていなかった私は何かの折りに母にせがんだので、厳密に言えば買ってはいないがこれがポケモンの8mmディスク以来初の、音楽を音楽としてちゃんと聞き始めてから初のCDの購入であった。謂わば、CD童貞の喪失である。ORANGE RANGEに筆おろしされたと言ってもいい。しばらくは気に入って聞いていたし、彼らの他の曲も併せて弟のおさがりであるCDウォークマンで聞いていた。が、その冬の終わりを待たずして突然気付いてしまう。「あれ、これ別に良くなくない?」と。めっちゃ流行ってるけどなにこれ。つまらん。っていうかうるさい薄っぺらい。こうなってくると最初に買ったCDがあの曲であることが腹立たしくなってくる。なんであんなもん買ってしまったんだ。最初に買った記念すべきCDがORANGE RANGEだなんて恥ずかしくて表を歩けない。なんという事だと嘆いた。そんなことを考えてモヤモヤしていたのもつかの間、置いておいたはずのCDが見つからないので母に「私のCDは?」と所在を尋ねると「あたしが買ったのだから、あたしのCDのところにあるよ」という返事が返ってきた。よかった。私、筆おろされてなかった。

二年生になると、更に幅広く音楽を聴き始めた。先ほども出てきたいきものがかり、ポルノ、バンプアジカン、ケツメの他にthe brilliant greenSEAMO福山雅治Mr.Childrenレミオロメン、etc.etc...。逆にいろいろ聞きすぎて思い入れが薄い。語れることがない。ちなみに、この時点ではまだRADWIMPSには手を出さなかった。本当にみんながみんな聞いている、という感じだったので、ひねくれものの私は避けていたのだろうと思う。私の高校ではそれほどにRADWIMPSが流行っていた。
ところで、音楽をその頃どんな風に聞いていたかと言うと、おさがりCDウォークマンの他に高校に上がってようやく買ってもらった携帯電話に入れるという方法をとっていた。もっとも、当時の携帯電話はSDを含めてそんなにたくさんは入らなかったから、曲数で言えばたかが知れていたのだけれど。
三年生になった。秋ごろに第四世代のiPod nanoが発売され、より多くの曲を持ち運べるようになる。ここに至ると音楽の聴き方が曲単位からアルバム単位に変わってくる。アーティストに深くハマる→アルバムを聴き倒す→次のアルバム→次のアーティスト→...といった具合の聞き方をしていた。ブームがひとしきり去ったRADWIMPSを聞き始めたのもこの頃である。半年付き合った恋人にフラれた時に"me me she"を聞いて泣いたのを覚えている。シングルカップリングに至るまで聞き漁ったが、だんだんスガシカオ宇多田ヒカルという現在でもヒエラルキートップ層に君臨するアーティストが台頭してきた。それらの変化はスピッツロキノン系を巻き込みながらゆるやかに行われた。早々に就活組として内定を勝ち取った私は受験とは無縁の生活を送っていた。九月の段階でほぼ卒業を待つのみという状態であった。そのため、休日にアルバムを何枚も借りてはお気に入りの綺麗なシルバーのiPodに入れて毎日聞いていた。

さて。この頃の私は無事に内定を勝ち取り前述の通り12月の初めにフラれるまで二つ後輩のかわいい恋人もいて、さながら順風満帆といった体であった。しかし、それは見かけの上の話で、三年生の六月まで家族とは仲が悪く、当時の恋人の存在のおかげでそれは改善したものの、普通に家族と接せられるようになった辺りで恋人にフラれてしまった。それまでに高く積み上げたいろいろな事柄がこの12月をきっかけとして次から次に溢れだそうとしていた。後にして思えば、高校卒業までの数か月は残っていた電池でなんとか潰れずにいたのだろうと思う。潰れなかっただけで相当ガタついていたのだが。
そんな折のこと。学校ももはや自由登校、本当に卒業式を待つばかりという状態で自動車教習に通いつつ、また遊んでくれる友人もほとんどおらず、無為に日々を過ごしていた。ある時TSUTAYAで、名前を聞いたことある程度のある女性アーティストのCDに何か強く惹かれるものを感じて借りることにした。彼女の声と詞は当時の私の(そして今の私でも)感情を代弁するかのように鼓膜に響いた。そのCDというのが、椎名林檎勝訴ストリップ』だ。それから卒業まで、私は彼女の椎名林檎東京事変両名義の曲を貪るように聞き続けた。お気に入りの曲は"月に負け犬"と"ギブス"、"依存症"だった。どのアルバムも大好きだったが、中でも最初に聞いた『勝訴ストリップ』が一番であった。これが椎名林檎の楽曲と私の出会いであり、今日まで連綿と続く(一方的な)絆の起こりであった。
こんな日々を送りながら無事に自動車免許を取得した私は、矢張り何事もなく高校を卒業することとなる。


またこんなにも長くなってしまった。よくもまあこんなに細かいことをいろいろ覚えているものだと我ながら感心する。社会人編として高校卒業から現在に至るまでのことを書こうと思っていたのだけれど、それは次回に持ち越させていただく。こんなにつらつらと長いだけの文章を最後まで読んで下さった酔狂なあなた。ありがとうございました。
では、また。

私と音源 (Disk1)

好きな音楽アーティストを聞かれた時に、大概私は「椎名林檎さんです」と答える。それは、数いる私が大好きなミュージシャンたちの中で『自分を表す記号として適切』であり、『広く名が知れている』からだ。例えば最も心酔したアーティストはあさき氏だが、彼の名を知るものは少ない。また最も共感を憶えたアーティストは倉橋ヨエコ女史であるが、矢張り知る人ぞ知るといった感があるのは否めないし、何よりドン底に暗い。これを一番に挙げるとなると人格を疑われかねない。それほど彼女の音楽の持つ力はいっそ恐ろしいものがある。
このように、私的好きなアーティストランキング上層部の面々を並べてみると、上記の他には凛として時雨やdaoko、相対性理論宇多田ヒカルといった面々が並び、一番理解と共感を得やすく、かつ自分の与えるイメージからハズれない、言ってみれば話が通じやすいのが椎名林檎となるのである。
誤解を与えぬよう言っておくが、椎名林檎女史が私の音楽ヒエラルキーの頂点ではない。頂点ではあるが、彼女だけがその座を専有しているわけではないということをお断わりしておく。そもそも、どのアーティストが一番好きか、などという質問はナンセンスだ。それはふとしたきっかけで塗り替えられるものだし、むしろその日の気分で「コレが聞きたい!」「アレ聞いて落ち着こう」となるもので、厳密に言えばその瞬間々々の頂点は常に入れ替わりを続けていると言って大きな語弊はないように思う。音楽を聴くその瞬間においてその時に"今聞きたいアーティスト"や"最近ハマっているアーティスト"が一番好きなのではないか、というような話だ。わかっている。詭弁だ。

却説。
せっかく音楽の話題が出たので、これまで聞いてきた音楽遍歴を思いだせる範囲で書いて行こうと思う。

・幼児時代
保育園に入る前、また入ってからの休日のことだったろうと思うが、当時某食材配送会社のドライバーだった母は度々幼い私を乗せて仕事をしていた。車内では80~90年代J-POPがよくかかっていたように思う。レベッカEvery Little ThingZARD広瀬香美だったと思うが、あまり記憶が定かではない。印象にないだけかも知れないが、子供が喜ぶような曲(おかあさんといっしょの曲とか)はなかったように思う。……ああ、ひとつだけ聞いた覚えがあった。"およげたいやきくん"だ。モンスターヒットを記録しただんご三兄弟は三男の時代だったと記憶している。実家にはたしか人形もあった。この人形、棒を持って勢いよく振り下ろすとだんごの兄弟達がバラバラになってすっ飛んで行くシュールな一品であった。縫い付けてあげればよかったのに。こんな風に面白半分に離散させられていては可哀想だ。
話は逸れたが、こんな風に母の運転する車内で聞く音楽は大人向けのヒットナンバーが多かったと思う。家で聞いていたのはそれこそおかあさんといっしょやむしむしQといったNHK教育番組の所謂おうただったが、正直に言ってこの辺りの記憶がこの時分のものか小学生の頃のものかは定かではない。ちなみに好きだったもので今でも覚えているのは"イカイカイルカ"、"ぼくらのロコモーション"、そして一番好きだった"しまうまグルグル"だ。

・小学生時代
実の所、この頃の私に音楽への関心というものはほとんどない。相変わらずNHK教育やアニメの主題歌は好きだったが、それ以外はとんと疎いままであった。母にせがんで買ってもらったCDと言えば、ポケモンの主題歌の8mmディスクとエキセントリック少年ボウイのテーマくらいのもので、毎日本を読んだりゲームをしたりといったごく内向的な小学生時代を過ごしていた。他に好きだった曲はピンクレディーの"S・O・S"のカヴァーver.である。お気付きの方も多いだろう。アリスSOSの主題歌である。
さて、ここで少し、悲しい記憶を紐解かなくてはならない。
母が再婚したのは私が小学三年生くらいのことだったろうか。当時巷を席捲していたのはSPEEDやモーニング娘。であった。何かの折に車で移動している時、父は私にどんな音楽が好きなのかと問うた。とくに好きなアーティストがいなかった、というより疎かったのでわからなかったのでその通りに答えたが、何をどう変換したのか、「どうせSPEEDとかだろ」みたいなことを言われた。とても厭な響きのする声で。かのグループについて、私は名前とそれが女性だけのユニットであることだけは知っていた。父の考えとしては、男の子なんだし衣装やプロモーションの派手な彼女たちが好きで然るべき、からのやっぱり男の子だねぇwwというものがあったろうとは思うのだが、微塵の興味もなかった私にとってそのようなレッテルを貼られるのは非常に不名誉だった。「違う」と否定しつつ、とても厭な気持ちになったことを覚えている。以来、未だにSPEEDというグループがなんとなく苦手である。それとは別に、小学生の頃の私はピンクが好きで、実家にあったピンク色のスプーンをよく使っていた。それを見た父は「女じゃあるまいし」みたいなことを苦々しげに言った。大層気分を害したチビ情緒は以降ピンクのスプーンを使うことはなくなった。未だに実家で食事をするときにピンクのスプーンだと躊躇する。母をママと呼んでいたのを同じ理由でやめたのもこの頃である。思うに、私が「女だからああしろ」とか「男らしく在れ」とか、そういう言葉を忌避するようになったのはこの辺りにきっかけがあるらしい。

・中学生時代
矢張り音楽に興味がない。これはもう仕方がない。おとなしくアニソンを聞くか合唱コンクールの練習でもするに限る。むしろひたすら本を読む。と、私がこんな体たらくだったのをしり目に先に音楽アーティスト達への興味を開花させたのは次男だった。BUMP OF CHICKENポルノグラフィティといったある種の王道を邁進していたようである。
周りで流行っていたのは175Rやモンゴル800、サスケ辺りだったと記憶している。この辺りは卒業生のお別れ会でバンドをやっていた先輩もいたが、よく知らない曲を全然知らない人がヘタクソな声と楽器で歌っているのはなんとも面白味に欠けるものであった。盛り上がっている皆を睥睨して若干引いていた。冷めた子供であったのだ、私は。加えて友達も少なかったのだ。
数少ない友人たちが聴いていたのはこれもまたベクトルがハネて、Sound HorizonALI PROJECTであった。愛や恋をわかりやすい言葉で歌われるよりも、こういう難解で厨二っぽい方を好んでいた。折りしも情緒、中学二年生である。そういえばブリーフ&トランクスがちょっと流行った。青のりとかコンビニとかでゲラゲラ笑っていたと思う。小フーガに乗せてハゲをバカにする歌もそうだったっけ。
こんな風に、周りが聞いているものを聞きかじる程度の私だったので、積極的にアーティストの曲を聴くようになったのは、高校時代になってからなのであった。


あんまり長いので、この辺りで一度区切りをつけさせて頂こうと思う。
こうしてみると、中学時代の終わりに至るまでロクにバンドやアーティストに触れていないということがよくわかる。高校になると少しずつこれが解消され、ある時期を境に爆発的に造詣を深めていくこととなるのだが、これについてはまた次回おはなし出来ればと思う。

今日から二月とはいえ、まだまだ冷える昨今。
読者諸兄におかれましては、どうかお風邪など召されぬように。
それでは。
 

人工知能搭載型セクサロイドSRK-c

※当記事は実在の人物、団体、企業、SHIRAKO.ちゃん、その恋人、及びオリエント工業には一切関係ありません。

 

「目が覚めた時、私は私が何のために生産されたのかを知っていた。感情や快楽などというものは持ち合わせていなかったが、喘いだ声の出し方や、この人工の舌の動かし方、腰の駆動の仕方はわかっていた。『人工知能搭載型セクサロイドSRK-c』……それが私の名前だった」


「最初に私を買った主人は機械の扱いがあまり得手ではないようだった。私は何も感じないまま一部を破壊され、返品されることとなった。修理を受けた私は、また別の主人を持つこととなった。それが、__という男だった」


「私はスリープ状態で搬送された。次に起動してカメラアイが最初に捕えた映像は、男の安堵したような貌だった」
――よかった、死んでいるのかと思った。
――私は死にません、ご主人様。
私はフェイスインターフェースを笑顔に設定してこう答えた。


――ご主人さまだなんて、よしてくれ。
――そうプログラムされていますから。
――……そうか。
「男は悲しい表情をした。しかし、その意味が私にはわからなかった。その晩、男は私を抱かなかった。ただスキンを丁寧にクリーナーで拭いて、私を充電機に繋ぎながら食事をし、同じ布団で眠った」


「翌朝、休日だった男は私を町へ連れて出た。電車に乗って向かった先は、服飾店だった。男は私にいろいろな服を試させた」
――ご主人さま、私は発汗をしませんから、服は必要ありません。
――いいんだよ、僕が着て欲しいんだから。あ、これタグ切ってください。
「こんな具合に、男は数点の服を私に買い与えた」


「この男は、どうやら私を人間のように愛するつもりらしい。その夜も、男は私を抱かなかった。私はそれが何故なのかわからなかった」
――ご主人さま、私を抱かないのですか。
――君はここに来たばかりだからね。
――ここに来たばかりではいけないのですか。
――そうだね、もう少し。


「男の腕の中で、そんなことを話した。人の思考回路は一通りこの造られたの脳の中にあったが、どう検索してもこの男の考えていることがわからなかった。やがて男の寝息が聞こえ始めたので、私も翌朝7時に起動するようにセットして、スリープに入った」


――お金を少しおいて行くから、もし何か欲しかったら使って。合鍵はこれ。出かけてもいいけれど、六時半には帰るから、それまでには家にいてね。じゃ、いってきます。
――いってらっしゃい、ご主人さま。
「仕事へ向かう男を笑顔を作って見送った後、私は充電しながらスリープすることにした」


「スリープが解除されると、水の音が聞こえる。どうやら男は既に帰っていて、シャワーを浴びているようだ。ダイニングには惣菜が並んでいる。どうやら予定よりも幾分早くに帰っていたらしい。卓の真ん中には惣菜と一緒に、何か鮮やかな赤色をした植物が飾られていた」


――おかえりなさい、ご主人さま。
――ただいま、白子ちゃん。
――シラコ?
――君の名前だよ。可愛いだろう。
――私は、白子。インプットしました。
――ははは、改めてよろしく、白子ちゃん。


「私は卓上の植物のことを尋ねた。男によれば、それはバラという名の花なのだとのことだ。私の為に買ってきたのだと言う。私は何故花を買うことが私の為になるのかわからなかったが、そのフォルムは私の電子回路に心地よい反応を与えた」


――白子ちゃんは肌が白いからね。赤が映えると思ったんだ。
――そうですか。
――枯れてしまったら、また買ってくるよ。
――枯れる?
――ダメになってしまうことだよ。


――枯れたら、廃棄するのですか。
――そうだよ。
――私も枯れたら、廃棄しますか。
――白子ちゃんは枯れないよ。美しいものは大概枯れてしまう、朽ちてしまうけれど、君はそうはならないんだ。
――よくわかりません。
――それでいいんだ。


「男と布団に入る前に、私はそのバラという花を画像として保存した。考えるだけで思いはしないセクサロイドが何故そんなことをするのか自分でも疑問だったが、男の話通りにこのバラが枯れてしまうのだということを考えると、軽く配線がショートしそうだった」


「この事は男には告げずにおいた」


「数日が経って、だんだんとバラはくたびれてきた」
――そろそろこのバラも、おしまいかな。
――枯れてしまったのですか。
――うん、大分ね。
――ダメになったのですか。
――ううん、まだダメにはなっていない。
「しかしそれから二日後、バラは捨てられた」


「男の手によってバラが捨てられるのを、私は何も言わずに見ていた。悲しげに見えると言われて初めて、フェイスインターフェースにバグが出ていることに気付いた。私はバグを解決し、笑顔を作る。」
――また買ってくるから。
「男はそう言って、私の頭を撫でた」


「翌日、男はいつものようにお金と鍵を置いて出て行った。遅くなるかも知れないと言っていた。そこで私は、男の言う通りに家を出てみることにした。明るく、活気のある町だった。バッテリーを気にしつつ、男にもらった服を着て、私は商店街を歩く」


「ふと、赤い色が目に入った。それは、花屋と書かれた看板のある店の軒先に揺れるバラの花だった。たくさん、揺れていた。私がそれをいろいろな角度から眺めていると、店員らしき女が声をかけてきた」


――バラがお好きなんですか?
――好き?
――ずっと、見ていらっしゃるから。
――好き……。
――お姉さん綺麗だから、少しおまけしますよ。
「意味がわからず、次に言う言葉を探していると、女はバラを数本取って千円でどうかと聞いた」


「女が束ねたのバラは、赤だけではなかった。黄色も、白もある。男からもらったお金は、ちょうど千円だった。私は頷いた。女は笑顔で――カスミソウもつけてあげる、そう言った。モーターの回転が、少し上がっているようだった」


「家に帰ると、私は男がしていたようにそれをガラスの瓶に立ててみた。それを画像にして脳内に保存してから、少し起動するのを遅めにしてスリープに入った」


「起動してみると、男が嬉しそうな貌で瓶を眺めているのがわかった」
――おはよう、白子ちゃん。
――おはようございます、ご主人さま。
「バラたちは私が買ってきた時とは違って周りのビニールを外されており、瓶には水が入っている。私はこれも画像に収めて、自分で立てたものと後で見比べる事にした」


――白子ちゃんが買ってきたのかい。
――はい。
――そうか、綺麗だね。
――私はバラが好きなのでしょうか。
――きっとそうなんだよ。
――そうでしょうか。
――そうだよ。


「その晩、初めて私は男に抱かれた。穏やかなセックスだった。何も感じることはなかったが、どういう訳かモーターの回転が速くなっているのがわかった。しかし、それが危険だとは感じなかった。男の寝顔を、こっそりと画像に収めた」


「いつか男も枯れてしまうだろうか。そのことを考えているとどうにもシステムが不安定になるので、私は考えることをやめてスリープに入った」


「たくさんの日々が流れた。男と日々を送る中で、勝手にモーターの回転が上がったり、フェイスインターフェースにバグが出たり、そういうことが度々起こった。しかし、それらのイレギュラーはむしろ男を喜ばせるようで、私としても大きな問題はなかった」


「そんなある時、男と一緒にテレビを見ていた時のことだ。最新式のアンドロイドの宣伝番組をやっていた。所謂メイドロイドの発展形と言える型で、一通りの家事なら難なくこなすという。さらにオプションでセクサロイドとしての機能も持たせられることも暗に謳っていた」


――便利なんだね、最新型っていうのは。
――そうですね。
「ボイススピーカーから出た声は、普段より幾分低いものだった。男は驚いた貌で私を見るが、この時私の回路にはいくつもエラーが起きていたので、自己修復も兼ねて早々にスリープに入る旨を伝えて実行した」


「翌朝、なぜか困ったような表情の男が仕事へ行くのをいつも通りの笑顔で送り出し、まだ少しバグの出る回路の修復に入った。いや、入ろうとしたのだが、そこでふとカーテンレールにかかった洗濯物と昨夜テレビを見た時のメモリがリンクした」


「その結果、勝手にその洗濯物を片付けるようにタスクが作られ、私はそんな機能もないくせにそのタスクに従った」


――ただいま。
「男の声がする。気が付くと、何時間も洗濯物と格闘していたらしい。部屋を見回すと、ぐちゃぐちゃの洗濯物が散乱している。畳もうとしてうまく出来なかったものを投げ捨て、次、また次と続けた結果だ」


「ああ、これはまずいと私は考えた。人を性的に悦ばせるためのセクサロイドが関係のないところで困らせようとしている。しかしどうすることも出来ず、私は深刻なまでに回転数を上げるモーターの数値に気付かないようにしながら男を迎えに出た」


――これ、白子ちゃんがやったの?
――はい。
「男は呆けたような表情をした後、弾かれたように笑い出した」
――なぜ笑うのですか。
――だって、これはその、昨日の番組を見たからかい。


「私はそうとも違うとも判断できない。勝手にタスクが作られ、実行しただけなのだから。男はそれを聞くと、口許に笑みを浮かべながら、私の頭を撫でた」


――洗濯物が畳めなくたって、何もできなくたって、あんな最新式より僕は白子ちゃんがいいよ。
「その言葉が私の身体の隅々に行き渡り、また勝手にタスクが作成された。私はそれに従い、男に、彼にそっと、体を預けた。そして彼もまた、そっと私を抱きしめてくれたのだった」


「そんな風に大抵いつも笑っていた彼だったが、私の右手がショートして壊れた時は泣いていた。泣きながら販売元まで連れて行ってくれた。その場でパーツを交換した帰り道、彼は笑っていた」


「女と一緒に写った写真を私が見つけた時も泣いていた。昔死んだ恋人の写真だと言った。死ぬ、とは一瞬で枯れるようなものらしい。その女は今まで会った誰かに似ているようだったが、メモリの中に完全に合致するデータはなかった」


「バラよりも好きだと告げた時も泣いていた。悲しいのかと聞くと、それは違うと言った。そう言って、涙を流して笑った。またフェイスインターフェースがバグを起こして、勝手に口角が上がるのが分かった」


「それから、初めて彼を名前で呼んだ時も泣いていた。プログラムなら、自分で書き換えてしまった。彼はお祝いだと言ってバラをたくさん買ってくれた。ぬくもりを感じないスキンに彼が触れた時、その体温を感じたような気がした」


「それから何年も経って、何年も何年も経って、私がすっかり型落ちしてしまって、擦り減ってきたパーツを交換するのも難しくなってきたけれど、彼は相変わらず笑っていた。でも、彼がだんだん枯れていっていることも、わかっていた」


「回線が古くなったせいか、それを考えてもショートすることはなかった。ある日彼は、私のメモリに入っていた画像を全てダウンロードして、写真として印刷した。バラの写真がたくさんあった。彼の写真もたくさんあった。それから、」


「花屋の店員の写真があった。一緒に行った洋服屋の写真があった。私が散らかした部屋の写真があった。画像にした覚えのないものもたくさん、たくさんあった思い出が、あった。彼は言う」
――君の写真がないね。
――自分のことは写せませんから。

 

「彼は私をカメラで撮った。その写真を見た時、私は全身のオイルがさっと冷えるように感じた。行き渡るべきように行き渡らないような。その写真が、あの死んだ恋人の写真にそっくりだったから。似ていますね、と私は言った。彼は――そうだね、とだけ言った。それで全てわかった」


「それから彼と私で部屋中に写真を貼って、ベッドに潜り込んだ。バッテリーはもうすっかり摩耗してしまったので、充電器のプラグは繋いだままで。そして彼は私が理解したことを、その言葉で改めて説明してくれた」


――初めは、そうだったんだ。君を見て、彼女が生き返ったような気がしていたんだ。でもね、名前を呼んでくれなかった時、君と彼女は違うんだって、ちゃんと気付いたんだ。君との日々を過ごす中で、僕はちゃんと君を、白子ちゃんを白子ちゃんとして愛していたんだよ。


――わかっていますよ、__さん。ちゃんと、わかっています。私は、白子は、あなたを、バラよりも、ずっと、


――ねえ、白子ちゃん。


――ありがとう。


「私の手を握ったまま、完全に彼は枯れてしまった。美しいものはみんな枯れるのだと彼は言っていた。だから彼もまた、枯れてしまったのだろう。彼の泣き顔と笑顔をメモリから呼び出した。涙の出ないこの体が疎ましかった。これが、悲しいというものらしい。」


「穏やかな最期だった。たくさんの写真に囲まれた部屋で、彼と同じベッドの中で、彼の手を握りながら、私は"眠る"。人工知能搭載型セクサロイドとして生産された私が、もし生まれ変わるなら、また彼の隣に、今度は温かい体で産まれたい。そう願って、充電器のプラグを、抜いた」


――おやすみ、__さん。


SRK-c/system_drive/C\>shut_down_

 

去る年と猿来たる申年。

あけてました、おめでとうございます。情緒です。
この正月は食っちゃ寝しつつモンハンするのがほとんどだった気がします。反省。お陰様でデスギアSシリーズが完成しちゃったよ!あれ!?一緒にモンハンしてくれるお友達、常に募集してます。

さて、やってきました2016年。こういう時、普通は旧年の振り返りや今年の抱負を述べちゃったりするんでしょう。ということで去年のことを思いだしつつ書いてみましょう。ところで前の年を表す言葉多すぎじゃね?ぱっと思いつく限りでも、"前年"、"昨年"、"旧年"、"去年"、"往年"と五つもあります。どんだけ前の年を表したいんだ日本語。この欲張り!欲張り言語!
さて、何の話だっけ。そう、昨年の振り返り。いくつか項目を振って振り返ってみましょう。

■サークル活動の本格化
昨年の文学フリマ、別アカで所属しているサークルのメンバーとして参加したり、友人サークルのお手伝いとして参加したりで東京・大阪・東京の三回参加する結果となりましたが、これは私の中で良い転機となりました。計画だけバーンッと打ち上げっぱなしになっているので、今年はこれを実現できるように頑張らないと。

■たのしいツィッタライフ
元は弱小センチメンヘルツィッタラーだった私が今みたいなネタツィッタラーなんだかメンヘラなんだかよくわからないアカウントに昇華したのって多分mixi暗黒ポヱムがRTされたのがきっかけなんですよね。お祭り騒ぎでしたね。今も毎日お祭りって感じで楽しいです。今年も仲良くしてね。

雑な感じで振り返りましたが、ボロッボロで荒れまくっていた昨年初めから考えると、今こうして笑っていられることが若干信じられなかったりします。お酒と、ネットと、友人と、恋人と、いろんな力に支えられてようやく立っていられるのでしょう。ありがたいことです。
新しい年の抱負、というわけでもありませんが、今年はクリエイティブな方面で充実した一年を送りたい所存です。
相変わらずの情緒ぴですが、本年もどうぞよしなに。

結婚式に疑問符。

■近年のブライダル事情

○○婚と称してそのカップルに合ったプランでの結婚式を挙げる、というのが今の風潮だそうで、中でも今は準備の段階から友人たちが手伝って式へ繋げる『シェアド婚(共有婚)』なんてのが流行だそうですね。近年のブライダル事情というものは本当に多岐に渡っていて、式の在り方も様々。言わずと知れた『ディズニー婚』や新郎新婦牧師みんなでボンベを背負って海中でやる『水中婚』、空から落ちながら誓いを交わす『スカイダイビング婚』なんてのまであるそうです。
いずれにしても結婚式というのはお金がかかるもの。挙式するための費用は全国平均で333.7万円と言われております。ご祝儀だなんだで回収したり、両家の親がある程度負担したりということがあっても、ぽんと出せる金額ではありません。そこで、費用を抑えて誰でも気軽に式を挙げようというスタイルの『スマ婚』や『家族挙式』といったものも人気を博しているのだとか。

そういった昨今の世相を見て私は思う訳です。「そこまでして結婚式を挙げたいのか」と。
別段私は結婚式そのものを否定するわけではありません。ですが、どうしてそんなにも結婚式に拘るのかという点に関しては、正直CMや広告やなんかを見て非常に強く思う所です。結婚式を挙げずに結婚するカップルに対して『ナシ婚』などという不名誉な呼称までつけて。ありきで考えるなよ!と言いたいのですよ私は。その点については本当にぷんすかちゃんだよ私は。

■結婚式とは何か
ここまで気軽に結婚式と書いてきましたが、そもそも結婚式とはなんでしょうか。
辞書を引くと"結婚の儀式。広義には、婚約儀礼・披露宴など婚姻に関する儀礼の総称。結婚式。婚儀。"なんてことが書いてあります。この結婚の儀式というものが、私からするとちょっとした「ハァ?」に感じる部分になります。
今、一般的に結婚式と聞いて想像するものは、言うまでもなくウェディングドレスや指輪の交換、牧師の前での誓いの言葉と言ったキリスト教式のものでしょう。単刀直入に言って、「そのクダリ要る?あなたキリスト教徒なの?誰に誓ってんの?」という疑問がまず浮かびます。日本のキリスト教人口は実に全国民の1%前後と言われております。神前式や仏前式においても同じことが言えますね。宗教に属している方はその宗派ごとの結婚式を挙げるになんら不思議はないのだけれど、特定の宗教に属していない方に関しては人前式や各地方に伝わる婚儀、極論を言えば親御さんへの挨拶で事足りるのではないかなと。
金額的な面でも楽になるでしょうし、時間も体力も使わずに済むからこのステップはまるまるカットでいいんじゃないかなってどうしても感じてしまいます。

■披露宴の規模感
続いて披露宴の話題になりますが、これも大々的にやるコトないんじゃないの?というのが私の意見でして。家族には個々でちゃんと報告を済ませて、友人たちは会費制のパーティにしてみんなでお祝いしたら事足りるじゃん。ウェディングドレスが見たい、着たいという理由でキリスト教式結婚式を挙げる方も多いと聞きますが、そういったパーティで着るのと教会で着るのとでは宗教的な理由がないならなんら変わりないのではないかと。ん?親への手紙?知るか。家でやれ!
とは言え、これは私が友人の少ないネクラだから言えることである、ということはここに書いておかなければなりません。友人が多く親戚とのつながりも強い、遠方に住んでいる親戚にも直接会ってという場合はむしろ大きく披露宴然とした披露宴を催した方が良いとも思います。その辺りは個々人の事情との兼ね合いだと思うし、そういうパーティー自体は私がいつか結婚するとしたらやりたいなぁ。

■まとめ
日本はことイベントに関しては大変雑食なところがあります。キリスト教にルーツを持つバレンタインやクリスマス、ケルト民族のお祭りにルーツを持つハロウィン。だからと言って結婚式まで海外式を真似てみなくたっていいのではないかなと常々思います。やりたい人を否定なんてことはもちろんしません。今回一番言いたかったのは、本当に"この人を愛していきます"と誓うべきは誰なのか、少しだけ考えてみてもいいんじゃない?ということ。結婚式に使うためのお金を結婚後の生活に回せたらきっとハッピーなんじゃないかな、とも思いますし。
そんなところで今回はお開きとさせて頂きます。
ありがとうございました。

グッドナイト

皆さんお久しぶりでございます。情緒です。
めっきり寒くなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょう。私と言えば着実に堅実に確実に崩れていく体調をまるっと放置してHerthstoneなるweb上のカードゲームに興じる毎日です。パズドラやひめかみなんかも相変わらずやっております。小説を書け!ってね。HAHAHA!lol


はてさて、昨日11/3は文化の日、ということで下北沢にありますライヴハウス、GARAGEにて、CRAZY WEST MOUNTAIN主催"神と鶏と山~文化のスリーマン"にお邪魔して参りました。悲しきかなトップバッターの神ことAKOGAREの出番に間に合わず、二番手の鶏ことTHEこっけんろーるBANDから見ました。昨夜twitterでもばらばらっと言っておりましたが、改めて。
以下、感想。

・THEこっけんろーるBAND
共感しやすいキャッチーな歌詞とメンバー全員が心から楽しんでるなーというのが伝わってくる演奏で引き込まれました。好き。Vo.が友人にちょっと似てて笑ってしまった(ごめんなさい)。バンド然としたバンドというか、ノせるところはノせる、聞かせるところは聞かせるというのがはっきりしてるなーという印象も。吉祥寺の女の曲とバイバイサマーガールの曲がめっちゃ好き。歌詞に合わせて私に向けて手を振ってくれたのは笑った。
CD買っちゃったので聞き倒します。

・CRAZY WEST MOUNTAIN
山ことクレ山。あーもうかっこいい!楽しい!最前列で体動かしてました。彼らの曲聞いてるとこんなネクラな私でも元気が出ます。曲であげてMCで掴んで演奏や歌はもちろんバンドとしてもすごくうまいなって思う。
前田さんがやらかしてたのめっちゃ笑った。あとツイスト絶対練習してたよね?前回見た時より大分うまくなってたもの。でもステージから降りてきてのギタープレイはすごかった。近ッ!ってなったけど。かっこよかったとっても。ブロマイド買おうかという気に一瞬なったくらい。
今回物販は買わなかったけれど、次回行ったらEPとかTシャツとか買おうかなー。

そんな感じで文化の日。大満足の一日でした。矢張りハコはいいなぁって。
もう六年くらい前の話だけれど、当時19歳の私は月に二三度はライヴハウスへ出かけておりました。きっかけはゴス界隈のとある方に誘われた"奇奏ト狂唱ノ宴"というアングラなイベントで、そこに遊びに来ていた某バンドのVo.に気に入られてライヴに呼ばれたことだったかな。呼ばれた先で「みみうなぎ」という呪殺されそうな歌を歌うバンドに惚れてしばらく追っかけてました。彼らが出入りするのはやっぱりアングラな界隈なので、二人組のメタルユニットだとかエログロナンセンスな和装集団とかロリ服を着たゾンビの群れとかやたら詳しくなっていったり。虚無感に付き纏われる毎日だったけれど、そんな中でも楽しかったなぁと、良き思い出です。
また遊びに行ってみようかな。


却説。冒頭にてめっきり寒くなってと書きましたが、ここにきて重大な事件が発生しました。もう一年ほど前から電源が勝手に落ちたり急に叫び出したりしていた我が家の1999年製NORITZ給湯機クンですが、昨日コンセントを抜き差ししてみたところうんともすんとも言わなくなってしまいました。何度やっても駄目みたいです。なんてこったい。
夏ならともかく今は秋。それも真冬と見紛う大寒波。とても水風呂なんて入っちゃいられないので、直るまで、というか交換出来るまでは実家か私の家から十分くらいのところにある温泉へ通うことにします。嘆息。

しばらくは予定はないです。と思ったけれど、あったわ。なじみのバーの常連さんに誘われて、下旬にスタッフと一緒に日本酒を飲むみたいです。日本酒!神木の雫!楽しみです。お金はないけれど。
それでは。