読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私と音源 (Disk1)

好きな音楽アーティストを聞かれた時に、大概私は「椎名林檎さんです」と答える。それは、数いる私が大好きなミュージシャンたちの中で『自分を表す記号として適切』であり、『広く名が知れている』からだ。例えば最も心酔したアーティストはあさき氏だが、彼の名を知るものは少ない。また最も共感を憶えたアーティストは倉橋ヨエコ女史であるが、矢張り知る人ぞ知るといった感があるのは否めないし、何よりドン底に暗い。これを一番に挙げるとなると人格を疑われかねない。それほど彼女の音楽の持つ力はいっそ恐ろしいものがある。
このように、私的好きなアーティストランキング上層部の面々を並べてみると、上記の他には凛として時雨やdaoko、相対性理論宇多田ヒカルといった面々が並び、一番理解と共感を得やすく、かつ自分の与えるイメージからハズれない、言ってみれば話が通じやすいのが椎名林檎となるのである。
誤解を与えぬよう言っておくが、椎名林檎女史が私の音楽ヒエラルキーの頂点ではない。頂点ではあるが、彼女だけがその座を専有しているわけではないということをお断わりしておく。そもそも、どのアーティストが一番好きか、などという質問はナンセンスだ。それはふとしたきっかけで塗り替えられるものだし、むしろその日の気分で「コレが聞きたい!」「アレ聞いて落ち着こう」となるもので、厳密に言えばその瞬間々々の頂点は常に入れ替わりを続けていると言って大きな語弊はないように思う。音楽を聴くその瞬間においてその時に"今聞きたいアーティスト"や"最近ハマっているアーティスト"が一番好きなのではないか、というような話だ。わかっている。詭弁だ。

却説。
せっかく音楽の話題が出たので、これまで聞いてきた音楽遍歴を思いだせる範囲で書いて行こうと思う。

・幼児時代
保育園に入る前、また入ってからの休日のことだったろうと思うが、当時某食材配送会社のドライバーだった母は度々幼い私を乗せて仕事をしていた。車内では80~90年代J-POPがよくかかっていたように思う。レベッカEvery Little ThingZARD広瀬香美だったと思うが、あまり記憶が定かではない。印象にないだけかも知れないが、子供が喜ぶような曲(おかあさんといっしょの曲とか)はなかったように思う。……ああ、ひとつだけ聞いた覚えがあった。"およげたいやきくん"だ。モンスターヒットを記録しただんご三兄弟は三男の時代だったと記憶している。実家にはたしか人形もあった。この人形、棒を持って勢いよく振り下ろすとだんごの兄弟達がバラバラになってすっ飛んで行くシュールな一品であった。縫い付けてあげればよかったのに。こんな風に面白半分に離散させられていては可哀想だ。
話は逸れたが、こんな風に母の運転する車内で聞く音楽は大人向けのヒットナンバーが多かったと思う。家で聞いていたのはそれこそおかあさんといっしょやむしむしQといったNHK教育番組の所謂おうただったが、正直に言ってこの辺りの記憶がこの時分のものか小学生の頃のものかは定かではない。ちなみに好きだったもので今でも覚えているのは"イカイカイルカ"、"ぼくらのロコモーション"、そして一番好きだった"しまうまグルグル"だ。

・小学生時代
実の所、この頃の私に音楽への関心というものはほとんどない。相変わらずNHK教育やアニメの主題歌は好きだったが、それ以外はとんと疎いままであった。母にせがんで買ってもらったCDと言えば、ポケモンの主題歌の8mmディスクとエキセントリック少年ボウイのテーマくらいのもので、毎日本を読んだりゲームをしたりといったごく内向的な小学生時代を過ごしていた。他に好きだった曲はピンクレディーの"S・O・S"のカヴァーver.である。お気付きの方も多いだろう。アリスSOSの主題歌である。
さて、ここで少し、悲しい記憶を紐解かなくてはならない。
母が再婚したのは私が小学三年生くらいのことだったろうか。当時巷を席捲していたのはSPEEDやモーニング娘。であった。何かの折に車で移動している時、父は私にどんな音楽が好きなのかと問うた。とくに好きなアーティストがいなかった、というより疎かったのでわからなかったのでその通りに答えたが、何をどう変換したのか、「どうせSPEEDとかだろ」みたいなことを言われた。とても厭な響きのする声で。かのグループについて、私は名前とそれが女性だけのユニットであることだけは知っていた。父の考えとしては、男の子なんだし衣装やプロモーションの派手な彼女たちが好きで然るべき、からのやっぱり男の子だねぇwwというものがあったろうとは思うのだが、微塵の興味もなかった私にとってそのようなレッテルを貼られるのは非常に不名誉だった。「違う」と否定しつつ、とても厭な気持ちになったことを覚えている。以来、未だにSPEEDというグループがなんとなく苦手である。それとは別に、小学生の頃の私はピンクが好きで、実家にあったピンク色のスプーンをよく使っていた。それを見た父は「女じゃあるまいし」みたいなことを苦々しげに言った。大層気分を害したチビ情緒は以降ピンクのスプーンを使うことはなくなった。未だに実家で食事をするときにピンクのスプーンだと躊躇する。母をママと呼んでいたのを同じ理由でやめたのもこの頃である。思うに、私が「女だからああしろ」とか「男らしく在れ」とか、そういう言葉を忌避するようになったのはこの辺りにきっかけがあるらしい。

・中学生時代
矢張り音楽に興味がない。これはもう仕方がない。おとなしくアニソンを聞くか合唱コンクールの練習でもするに限る。むしろひたすら本を読む。と、私がこんな体たらくだったのをしり目に先に音楽アーティスト達への興味を開花させたのは次男だった。BUMP OF CHICKENポルノグラフィティといったある種の王道を邁進していたようである。
周りで流行っていたのは175Rやモンゴル800、サスケ辺りだったと記憶している。この辺りは卒業生のお別れ会でバンドをやっていた先輩もいたが、よく知らない曲を全然知らない人がヘタクソな声と楽器で歌っているのはなんとも面白味に欠けるものであった。盛り上がっている皆を睥睨して若干引いていた。冷めた子供であったのだ、私は。加えて友達も少なかったのだ。
数少ない友人たちが聴いていたのはこれもまたベクトルがハネて、Sound HorizonALI PROJECTであった。愛や恋をわかりやすい言葉で歌われるよりも、こういう難解で厨二っぽい方を好んでいた。折りしも情緒、中学二年生である。そういえばブリーフ&トランクスがちょっと流行った。青のりとかコンビニとかでゲラゲラ笑っていたと思う。小フーガに乗せてハゲをバカにする歌もそうだったっけ。
こんな風に、周りが聞いているものを聞きかじる程度の私だったので、積極的にアーティストの曲を聴くようになったのは、高校時代になってからなのであった。


あんまり長いので、この辺りで一度区切りをつけさせて頂こうと思う。
こうしてみると、中学時代の終わりに至るまでロクにバンドやアーティストに触れていないということがよくわかる。高校になると少しずつこれが解消され、ある時期を境に爆発的に造詣を深めていくこととなるのだが、これについてはまた次回おはなし出来ればと思う。

今日から二月とはいえ、まだまだ冷える昨今。
読者諸兄におかれましては、どうかお風邪など召されぬように。
それでは。