私と音源(Disk3)

どうした情緒。自分の音楽遍歴を語る為に三記事も使ってるぞ。タイトルの元ネタである林檎女史の『私と放電』だってDisk2までしかないんだからな。大概にせえよ。
などとつらつら自分を叱責しても仕方がない。また無為に字数を増やすだけになってしまうのでそろそろ始めよう。今回で終わりにしたい。

・社会人なり立てから今
高校を卒業し、就職するまでの間のわずかな期間で、私は激しめの曲にハマった。おりしもヴィジュアル系全盛期で、TSUTAYAでは連日特集コーナーが組まれ、テレビでも露出が増え、ライヴでは蜜や咲きといった文化に陽が当たり、ネットでは醜い争いが昼となく夜となく繰り広げられるという良くも悪くも黄金時代であった。アンティック-喫茶店-、ギルガメッシュ、Asid Brack Cherryなど一般受けするVバンドも多く発生していた時期であり、V系の中でもラウド系、キラキラ系、地下室系、白塗り系、オサレ系、昭和歌謡系、耽美系などなど様々に枝分かれしていった時期でもある。
私は詳細なジャンルにはあまり詳しくないが、高校の頃怖がっていたDir en grayにダダはまりしたが、そもそもはこの前にMarilyn Mansonにめちゃくちゃハマっていたのがきっかけではあった。
しばらくDirとマンソンに心酔、延々とヘビロテしていたが、入社してしばらく経った頃、同期から凛として時雨を勧められた。この辺りからポスロとかエモとかオルタナとかプログレといった新進気鋭のバンドミュージックを聞き始める。音楽の聴き方も、一つのアーティストをずっと延々と聞くより、今はコレ、今日はこっち、という聞き方が多くなってきた。
また、ライヴハウスに出入りするようになったのもこの頃だ。『奇奏ト狂唱ノ宴』というイベントに、たまたま誘われて行った時のことだ。この時は確かストロベリーソングオーケストラやゾンビロリータとかが出演していた回だった。懐かしいな、アナーキー包丁。この時(たしか)VJとして来ていた優雅灯というバンドのボーカルさんと知り合ったのがきっかけでいくつかのライヴへと足を運び、生音の楽しさを知ったのだった。立川バベル辺りでカラビンカやかたすかしといったバンドが活躍しており、中でもみみうなぎというバンドに深く惹かれていた。足が遠のいている内に解散してしまったようだが。アングラなライヴばかり行っていたせいか、アングラな曲を多く好んでいた時期でもあった。
同時期、私はゲームセンターでの音ゲーにハマっていた。ゲームそのものというよりもゲーム中の音楽が好きで、よく会社帰りに通った。一向に上達せず、中くらいのレベルの曲をひたすら叩いていた。
当時の意欲や好奇心というものは目を見張るものがあり、非常に幅広いジャンルの音楽を聴いていたように思う。以下にズラっと列挙するが、卒業後の三年で聞いてきた音楽はアーティスト名だけでもかなりのものであり、音楽と共に生きてきたと言ってもいい。働き出してからは自分のお金も多少出来たので、CDもたくさん買った。中学生まででは考えられないことである。ざっくりと分けて紹介する(多いので面倒だったら読み飛ばしてください)。またジャンルは適当だしかぶっている部分も多分にある点について、先にお断りしておく。

ヴィジュアル系:Dir en gray、グルグル映畫館、SEX-ANDROIDドレミ團Plastic tree陰陽座
ダウナー系:筋肉少女帯(大槻ケンヂ含み)、夢中夢、COCK-ROACH、倉橋ヨエコアーバンギャルド
バンド系:syrup16g、サカナモン、amazarashi、モーモールルギャバンGO!GO!7188
ポスロ系:凛として時雨ハイスイノナサ、anticlockwise、caroline rocks、夢中夢踊ってばかりの国、鴉、0.8秒と衝撃。クリープハイプ、daoko

もっとあったと思うが、これ以上は家のCD庫をひっくり返す他わからない。
ともあれ、なんとなく私の好みの方向性を感じてもらえるだろうか。
最近は新たにひいきにしているバンドも増えたので、また少しずつライヴハウスへ足を運ぼうと思う。長い話に付き合ってくれてどうもありがとう。
では、また。