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「これが現実なら、境目はどこ?」 - 『ダゲレオタイプの女』感想

 

黒沢清監督のフランスにおける初監督作品、映画『ダゲレオタイプの女』を観た。非常に良かったので、珍しく感想のようなものを書いてみようと思う。
まず、映画のあらすじを以下に引用する。

"ダゲレオタイプの写真家ステファンのアシスタントに偶然なったジャン。その撮影方法の不思議さに惹かれ、ダゲレオタイプのモデルを務めるステファンの娘マリーに恋心を募らせる。しかし、その撮影は「愛」だけではなく苦痛を伴うものだった……。芸術と愛情を混同したアーティストである写真家のエゴイスティックさ、父を慕いながらも拘束され続ける撮影と家を離れ自らの人生をつかみたいマリーの想い、撮影に魅了されながらもただマリーとともに生きたいジャンの願い、そして、自ら命を絶っていたステファンの妻の幻影……愛が命を削り、愛が幻影を見せ、愛が悲劇を呼ぶ。世界最古の撮影を通して交わされる愛の物語、愛から始まる取り返しのつかない悲劇。これまでにないクラシカルで端正なホラー・ラブロマンスが誕生した。"
(公式サイトより。http://www.bitters.co.jp/dagereo/)

あらすじから読み取れる限りでは(ホラーとは書いてあるものの)ヒューマンドラマの要素が強く感じるが、この作品の源流は所謂「幽霊屋敷モノ」と呼ばれる作品群にあると思われる。全体に幽玄な雰囲気が漂い、コンスタンス・ルソー氏が演じる写真家の娘、マリーには一種のかそけさすら感じる。また、全体としてはフランス映画らしく、流れる雰囲気を重視した情緒的な作りになっている。

さて、本作の感想を語る前に、ダゲレオタイプカメラについて少し触れておく。ダゲレオタイプとは170年ほど昔にパリで発表された世界初の実用的な撮影技法である。銀メッキを施した銅板等を感光材料に使うため、日本では銀板写真などと呼ばれることもある。もっとも大きな特徴としては、現代の主な写真が明暗の反転したネガティブフィルムを用いて現像するのに対し、ダゲレオタイプで撮影されたものはポジティブフィルムとなるため、撮影された写真は世界に一枚しか存在しないというものになる。また、露光時間が長く必要なのも特徴で、当時のパリでは日中でも10分~20分の露光が必要となり、肖像写真などには向かなかったと言われている。
劇中では、等身大の写真を撮るために巨大なカメラを用意し、60分以上の露光時間の間モデルが動かないようにするために拘束具を用いていた。この「モデルの肉体を拘束し魂を写真に固定する」という行為が父と娘、写真家と助手、男と女の間に特別な関係性を産み、やがてそれらは愛憎を孕んで狂気へと昇華していく。

全編に流れる淡泊とも取れる幽玄な雰囲気はまさにフランス映画だ。(個人的にフランス映画は雰囲気を味わい、愉しむものだと思っている。食べ物でいうとトリュフ)
しかし、少し踏み込んで観てみるとこの映画が細部まで練り込まれ、繊細な作りをしていることがよくわかる。その一端として紹介したいのが(この映画の感想として私が一番に感じたことでもあるが)、妄想と現実の区別がつかなくなる、という点である。作品の前半で、黒沢清氏は様々な境界を描いている。田舎と都会、生と死、親と子、現在と過去、虚構と現実。そういった境界をタハール・ラヒム演じる主人公のジャンが自宅と写真家のスタジオとを地下鉄で行き来したり、ダゲレオタイプカメラの操作を助手として一歩引いて見たりするといった形で浮き彫りにしていく。中盤にさしかかると、それらの境界を浮き彫りにするような描写は減っていき、次第に視聴者は今観ている映像が(物語の中で)虚構なのか現実なのか区別がつかなくなってしまう。随所にちりばめられた違和感と融合した、この不気味で背筋から這い上がってくるような感覚は、まさしく古典ホラーのそれである。

うっかり物語の核心にふれてしまう前に、筆を置こうと思う。感想というより紹介になってしまった感が否めない。
ともかく、約130分という長編の映画にも関わらず、飽きることなくラストシーンまで夢中で観てしまった。さながらダゲレオタイプの撮影のために拘束されたマリーのように椅子に固定されていた。10/15より公開の『ダゲレオタイプの女』、上映している映画館は限られてしまうが、ぜひ劇場であの幽玄な狂気を体感して欲しいと思う。

劇場情報→http://www.bitters.co.jp/dagereo/theater.html